いのち尊し
2010年 05月 15日
去年まで実家の隣りで一人暮らしをしていましたが、
今は実家から歩いてすぐのところにあるホームに暮らしています。
最近のこと(何曜日に誰がお見舞いに来たか、とか)はすぐ忘れてしまうけど、
昔のことはよく覚えています。
長男(私の父)を生んだとき、目が大きくてそれはそれは可愛らしい子で、
みんなにほめられた、そこら辺のアメリカ人(←東京です。時代を感じますね)に、
ヒューヒューって口笛を吹かれた、とかいう話をします。
最近のことでも大事件、たとえば妹の出産についてはちゃんと記憶しています。
部屋のベッドの脇には、ひ孫の「ののちゃん」の写真。
「Yちゃん(妹)もママになって。大変でしょう」
と言ったかと思うと、
「あなたはどうなっているの。いつまでも理想ばかり追い求めないで、
適当なところで手を打ちなさい。ひとりで年を取ったら孤独ですよ」
とか言ってくるので油断できません^^;
祖母には私と妹と、もうひとり従妹と、3人しか孫がいないのですが、
私も従妹も独身なので、ののちゃんは初めてのひ孫なんです。
「大丈夫、Aちゃん(従妹)より先に結婚しますから」
と断言しておきました。
こんなとき、もうひとりの祖母が生きていたら、どんな感じだったのかなと
思ったりします。母方の祖母です。9年前、77歳で亡くなりました。
母方のほうは私と妹だけが孫なので、やっぱりののちゃんは「初ひ孫」。
元気だったら飛んできて、いろいろ世話を焼いたり、
得意の手芸でベビー服や小物を作ってくれたりしたんだろうな、と。
そしてやっぱり私のことを心配して、いつ結婚するんだと聞くわけです。
両方の祖母にとって、私は「初孫」ですしね。
父方の祖母は、今のところ、母方の祖母より16年も長く生きていて、
まだまだ当分の間は元気そうです。100歳まで余裕で突っ走る勢いです。
他方、今年に入ってから同級生のお母上が2人亡くなりました。
まだ60代、これから、というときに。
人の命ってわからないものだなと思います。
こればっかりは、自分で決めているのではない、決められているのだ、と
人生の始まりも終わりも、自分の意志では決められないんだ、と思います。
9年前、祖母が亡くなって3ヵ月後、その後を追うようにして亡くなった祖父は、
こんな短歌を作っていました。
「うつせみの命尊し天地(あめつち)に生きとし生ける命尊し」
幼い頃に母親を亡くし、仲良しだった弟を戦争で亡くした祖父の
今、生きている命を大切に思う気持ちが現れている歌です。
平凡な毎日に感謝して、与えられた命を丁寧に生きたい、改めてそう思います。
読んでくださってありがとうございます。
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