ある人の日記公開~弁護士になるまで~

司法試験の話のつづきです。
司法試験に合格すると、裁判官か検察官か弁護士になれるわけですが、
大昔は、裁判官・検察官になる試験と、弁護士になる試験は別でした。

こんなのを見つけたんです。ある人の日記です。

「・・・その年の判検事試験に応じたが、何分にも志願者は多く、採用せらるる者は極めて稀少であったから、遂にその選に当ることが出来ず、さらに一年間勉強して次の時機を待たねばならぬ。翌二十八年に今度は弁護士試験を受けた。受験者一千五百余人の中で及第者はわずかに三十三名に過ぎなかったが、幸いにして及第した」

判検事試験には落ちたけど、翌年に弁護士試験に合格した、という話です。
「翌二十八年」というのは、明治28年(1895年)のこと。
判検事試験は裁判官・検察官になるための試験で、
これに受かれば自動的に弁護士にもなれたようです。
試験が統一されたのは大正時代で、その後も戦後まで、
裁判官・検察官になるための追加の試験制度があったそうです。

さて、続きも興味深いので、ご紹介します。

「及第はしたが独立して弁護士を開業することは出来ないから、その時の校長であった鳩山和夫博士の事務所の食客弁護士となって事務見習いをすることになった。三十一年に大隈内閣が成立し、博士は外務次官となり弁護士を廃業されたから、私は神田西小川町に事務所を設け、初めて独立して弁護士を開業することになった」

食客弁護士、って今で言う「イソベン(居候弁護士)」みたいなものでしょうか。
この時代、「ソクドク(即・独立)」する人はいなかったのか、
それとも単にこの日記の主が、資金面で無理だと判断したのかは不明ですが。

「校長の鳩山和夫博士」というのは、
当時の早稲田専門学校(現・早稲田大学)の学長をしていた方で、
息子の一郎さんと、ひ孫の由紀夫さんが総理大臣になっています^^。
弁護士がいきなり外務次官って・・・?と思いますが、
当時の制度ではそういうのもありだったのでしょう。

この日記、もともとは1948年に出版された本で、
その後1987年に出版され、2007年に復刊されているようですが、
なかなか入手困難なのと、著作権の保護期間が切れているということで、
ウェブ上に公開されているんです。
→ 斎藤隆夫著「回顧七十年」

ちなみに著者はこんな人です。
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Wikipediaから拝借してきました。本文はこちら。
1949年に亡くなっているので、私は会ったことがないんですが、
母方の祖母の父にあたる人です。
思えば、この人について研究したくて、大学は政治学科を選んだはずなのに、
なんだか全然違う方向へ来ていますね^^;

それにしても、こんなふうな形で自分の文章が読まれるなんて、
明治ひとケタ生まれの著者は想像もしていなかったでしょうけど、
何がすごいって、この文章を全部テキストに起こした方の労力です。
お疲れ様でした(って私が言うのもへんですが・・・)。

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by hadleywood | 2010-05-13 14:19 | 日常 | Comments(0)

海外暮らし10年、訪れた国30ヶ国、紆余曲折を経て、語学学校(WLA)の経営と外資系企業の法務部勤務をこなす日々☆旅行、美味しいもの、日々のいろいろ、ラテン音楽・サルサなどなど☆


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